九州ソロ車中泊旅!知覧特攻平和会館へ!涙が止まらない(第2話)

知覧特攻平和会館エブリィワゴン|ドライブ

どうも!タツオです。

2023年の8月12日㈯~神奈川県の自宅~宮崎県まで片道約1320㎞の超ロングドライブに行きました。

※九州車中泊旅は第1~第6話ございます。

旅の相棒はエブオ君(エブリィワゴン)です。

第2話は終戦記念日の8月15日に鹿児島の知覧特攻平和会館に行ってきました。
>第1話 エブリィワゴンで神奈川県~宮崎まで激走1320㎞の旅

親戚宅の日南市~知覧特攻平和会館まで約160㎞の距離。

初めての鹿児島上陸です。

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知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館入口

知覧は、太平洋末期に陸軍の特攻基地が置かれた場所。

アメリカ軍も驚愕した人類史上類のない飛行機で敵艦に体当たりした戦略
こちらの知覧特攻基地から439名の若き勇敢な命が散っていきました。

その特攻した隊員の遺影、遺品など展示している所です。

 

アクセス


知覧特攻平和会館は、鹿児島県の南九州市の知覧町にございます。

 

知覧特攻平和会館
2007年に公開された映画「俺は、きみのためにこそ死に行く」で忠実に復元された陸軍戦闘が展示。

 


「俺は、君のためにこそ死に行く」DVD
知覧を舞台に特攻隊の青年たちを世話する食堂の女将が、知覧から飛び立つ彼らの思いを受け止めながら送り出していく映画です。

 

知覧特攻平和会館

 

知覧特攻平和会館はこの本で知る


知覧特攻平和会館を知ったきっかけは、「ホタル帰る 特攻隊員と母トメと娘礼子」の本で知りました。

大戦末期に、軍の指定食道として特攻隊員達に親身になって世話した鳥濱トメの姿を、娘の礼子が実体験を交えて語っている本です。

特攻隊員たちのリアルが分かります。
九州旅するなら、終戦記念日に必ず行くと決めていました。

 

鳥濱トメ灯ろう

鳥濱トメの灯ろう

1956年に建立。鳥濱トメの灯ろう。
参道の脇にあります。

 


ホタル帰る 特攻隊員と母トメと娘礼子

 

道中の指宿スカイライン|須々原展望台!初の桜島に感動

須々原展望台

前方に見えるのが桜島

知覧特攻平和会館の行く道中に、指宿スカイラインの須々原展望台に立ち寄りました。
初めての桜島に感動。

 

須々原展望台

 

須々原展望台
神奈川県~鹿児島まで来た~って感慨深いものがあります。

 

須々原展望台駐車場
駐車場は広いです。
トイレはありませんでした。

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知覧特攻平和会館に到着

知覧特攻平和会館

この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦で、人類史上類ない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するのもです。

料金個人:大人500円、小人300円
団体:大人400円、小人240円(団体は30名以上、小人は小・中学生)
ミュージアム知覧共通券大人600円(通常800円)
小人400円(通常500円)

今回は大人600円のミュージアム知覧共通券を購入しました。
僕個人の感想としては500円の券で十分でした。

 

特攻隊は知覧からの出撃が一番多かった

 

薩摩川内市の手打港沖合にて、エンジントラブルで不時着した機体

特攻隊1036名のうち439名が知覧から出撃。
知覧からの出撃が一番多かったと言います。
特攻で散っていった隊員たちの年齢は最年少で17歳、最高年齢32歳と平均年齢21.6歳との若さ。

特攻隊の約9割は途中で撃墜され墜落
体当たりできたのはたった1割程度だったそうです。

 

知覧特攻平和会館

昭和55年知覧町(南九州市)によって、35年ぶりに海底から引き揚げられた。

遺影の写真は撮影できませんが、みんな笑顔でいい顔していました。

 

知覧特攻平和会館
機体の下に重さ250kgの爆弾を装着。
燃料は片道しか入っていません。

 

 

知覧特攻平和会館

 

 

知覧特攻平和会館

 

三角兵舎跡

三角兵舎跡
三角兵舎は、空襲を避けるために飛行場から少し離れた松林の中に作られました。
半地下木造のバラック建てで、屋根には偽装用の幼木をのせていました。

 

三角兵舎跡
ここで、特攻隊員たちは出撃までの数日間を過ごしたと言われています。

特攻隊員達が寝床についてしばらくすると、横になって息を殺して涙を流している隊員が多かったみたいです。

語り部の講話を聞いてたら、涙が止まりません。

 

三角兵舎跡

三角兵舎
三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。
敵の目を敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ擬装してありました。
各地から集まった隊員は2~3日後には雲のかなた沖縄の空に散華されました。
出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を汲みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙等をしたためて、出撃して従ったのです。

 

ハンカチ持参で行って下さい

 

遺書の写真は撮影禁止なので、撮れませんでしたが、遺書のほとんどは、母親に向けた遺書ばかりでした。

一語一句は覚えていませんが、「今まで育ててきてくれてありがとう。私が行かなければ日本が危ないです。泣かないでくださいね。行ってきます。・・・・みたいな感じで最後に「さようなら」と・・・」

字が達筆で遺影と遺書を読んでいると涙が止まりません。

今の安全な日本があるのは間違いなく彼らのお陰です。

さらに、アメリカから見た特攻隊のコーナーもございました。
そこでは、アメリカ軍から見た特攻隊は「狂信的な自爆戦術」と驚愕したそうです。

 


知覧に行けない方やこれから知覧特攻平和会館に行きたい方は、予習としてもホタル帰る 特攻隊員と母トメと娘礼子の本は是非読んでみてください。

 

夕食は大好きなチキン南蛮


夕食は姉が作ってくれた大好きなチキン南蛮。
僕が小学生の時によく作ってくれていました。
姉の手料理でナンバー1です。

鶏むね肉を使用していますが、とろっとろに柔らかく、ご飯4杯おかわりしました。
チキン南蛮は20個くらい食べました。
やっぱり本場のチキン南蛮は旨すぎます。

 


食後は猫ちゃんと遊んで癒されました。
最近YouTubeでネコ関連の動画ばかり見ているので心が病んでるのか、癒されたいのかなぁ~って(笑)

 

翌朝はウォーキング


田舎の朝は空気が澄んでいてメチャ気持ちい。
朝6時頃からウォーキングしました。

 


パンタグラフがないので、電車じゃなく汽車ですね。
JR日南線で1時間に1本の本数でした。
来年は乗ってみたいな~

 


飫肥駅の駅前ロータリー。
誰もいません。

 

 


ウォーキングの後は朝食。
味噌汁はちょっと変わった具材で出汁をとっていました。

味噌汁を飲んでいると・・・

姉がにやけてるので・・・

ん?

って思ったらなんと結構グロテスクなものが味噌汁に入っていました。

 

それがこれ
↓↓

 

 

亀の手

 

亀の手という貝の仲間みたいです。
味噌汁はあっさり系で出汁がしっかりきいて、深みのある味噌汁で旨かったです。

カニに似ただし汁みたいな感じでした。
なんだかんだと、2泊3日親戚宅にお世話になりました。

メチャクチャいい思い出ができました。

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まとめ|費用


今回は日南市~鹿児島県の往復で約300㎞の走行でした。
神奈川県~宮崎の約1,300㎞を走っているので、300㎞は何とも思いません。
距離感が完全にマヒしてます(笑)

来年も伺う約束をしました。もちろん墓掃除も行います。
これからは、熊本の友人と合流して、プチ贅沢旅がはじまります。

 

走行距離走行距離は約300㎞
高速代4,450円
ガソリン代3,864円、21ℓ
平均燃費15㎞

今回も最後まで読んで頂きありがとうございます。

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